Take it Easy

適当にのらりくらりと思ったこととか書いていきます。文字に書き起こすと思考が整理されるといわれているように、そんな感じに自分のために書いているので、書いてあることは大したことじゃないですね。

近況【2022.08】

 偶に自分の為に記録として書く、近況と考えている事についての記事。そこまで見直したりしないけど、色々ぐるぐるしてくると文章化して整理してみたくなる。

 

仕事

 6月末にアルバイトが決まって今週3で働いている。IT系のアルバイトはなかなか無い中、渋谷の小さいweb系の会社に採用してもらえた。面接のときに何度も確認されたが交通費が出ないし、給料も結構安い。だけどIT業界を目指すうえで悪くはないと思いそこに決めた。

 働き始めてから約2ヶ月ほど経つが、職場的には緩くて社員さん達も優しい。パソコンカタカタやってるだけでそこまで仕事もきつくない。体力的な確認も含めて働き始めたが、体力的にそこまできつく無いしイイ感じ。

 だけど、仕事内容的にはあまりスキルが付く感じの業務ではない(もともと予想してたけど)し、わざわざ遠いとこまで交通費だしてでもやり続ける価値があるのかは正直微妙だなと感じている。とりあえず年内は(クビにならない限り)働こうとは思うけど多分数年働くとかはなさそう。

 でも昔からなかなかできなかった労働というものが体験できて問題無く行えているのはとても充実感がある。この後書くことに繋がるが、薄給といえど無職から抜け出したのはかなり精神的余裕ができた。

 

就活

 今はやってないこと。だけどなぜかアルバイトがめでたく決まった日から2週間後、就活に忙殺されていた。きっかけは「新卒枠の就活について就活エージェントに聞きに行ったら、なぜか就活をはじめてみることにした」という・・・。正直正社員で働きたかったし、バイト決まったし「まぁいっかな」とノリで決めた。

 が、めちゃくちゃ面接入るし落ちるしで結構散々な目に遭った。精神的にも滅茶苦茶になりかけた。最終的に嫌になりすぎて何も言わずに半ば衝動的に退会フォーム書いて退会した。ちょっと反省してる(失礼なので)。

 就活自体が滅茶苦茶苦手で半ばトラウマになっている。流石に焦りすぎた。アルバイト生活を始めたが、フルタイムの就業はまだ早いかなって体力的に感じる。とりあえずやってみるのもいいが、もう少し体力と精神に余裕があるときに改めてチャレンジしたいっすね。頑張れ未来の俺。

 

ダイエット

 このブログでも度々書いているが、コロナ禍で滅茶苦茶太った。元々体脂肪率も高いのにさらに体重が15キロ以上太ってしまった。

 今しかない。もうこの先フルタイムで働きだしたらあまりうまくダイエットできないだろうしさらに太ってしまうかもしれない。

 コロナ禍で太った分をまず清算したい。でもずっと中学からコンプレックスである外見をどうにかしたいので、標準体型かそれ以上の肉体になりたい。そんな感じで6月からダイエットを始めた。大体今5㎏位痩せた。今年初めが人生最高体重だったのでそこからだと8㎏近く落とした。

 でも、自分の身長からする適正体重までまだ10㎏以上ある。コロナ禍前の体重まではちょうど10㎏位。ダイエットモチベは依然として高いので、今ここで痩せれるだけ痩せてしまいたい。僕のダイエット生活は始まったばかり。頑張るぞ。

 

TOEIC、資格、勉強

 これは別の一個の独立した記事に改めてしたいと思うが今年の5月末に基本情報技術者の資格を取った。大学卒業後、3月から3か月、割と人生で一番頑張ったレベルで必死に(自分の中では)勉強して何とか取得できた。今の感じだと役に立つかは分からないが、自分一人でやる勉強の習慣がついたし、自信もついたのでとても良かった・

 今はTOEICを勉強中。高校時代に留学に言ったおかげで英語が好きになったし、少しはできるようになった。けれどTOEICは565。滅茶苦茶低い。基礎的な文法理解と単語力が圧倒的に不足している。

 余裕がある今、英語の土台がせっかくあるのだからここで武器にしたいと考えて、TOEICの勉強を始めた。ちょうど一週間前に現状把握の為にTOEICを受けたのでそのスコアをもとに色々戦略を立てたい。

 ただ、何はともあれ、色々足りてない知識が多すぎるので伸びしろは滅茶苦茶あると思う。そして何より、TOEICの勉強は楽しい。基本情報の時よりはアルバイトもあるし、7月は無駄な転職活動に時間を取られて勉強できていないが、やっている感じ、今のスコアがどんなに低くても、700以上は絶対に狙える感触はある。

 12月にまた受けようと思うので、730以上目指して頑張りたい。

 

まとめ

 本当は最近考えていることも書くつもりだったが、記事が長くなってしまったので今回はここまで。明日以降また書きたい。

 転職活動で色々崩してしまったものの、今はアルバイトとダイエットと勉強の3つにしっかりと取り組めているので充実度は高い。

 また将来、進路に向き合わないといけないと思うけれど、今は自分磨きに全力投球して自分に自信をつける期間にするつもりだ。

【IT】進化していく技術に終着点はあるのだろうか?

 ※特に結論は無く、自分の疑問を書き連ねるだけの記事です。

 

 転職といえばかっこいいけど、今フリーターなので就職活動中である。転職ではないか、転職って言いたいけど。

 

 さて、新卒就活で惨敗しつつも懲りずにIT業界に挑戦しようと、就職活動を始めた訳で、当然、対策として自分から見えているIT像等々を考えなければならない。

 自分がITに魅力を感じているのは「ITは世界を変えることができる、変えてきた技術であり、可能性にあふれているから」だ。

 「世界を変えたい」

 そんな仰々しいことは大人になった一般人の僕らじゃ中々真面目な顔して言うことはできない。でも格好いい夢でもあると思う。凡人以下かもしれない僕が、将来何か大きなプロジェクトに携わって、一瞬の閃きでプログラムの処理をコード1行分(?)省略できるかもしれない。そのプロジェクトが社会システムを変えるものだとしたら、その小さな閃きだけでも「世界を変えた」と僕は胸を張れる。凡人の僕がぎりぎり「世界を変える」という格好良くて壮大なものを実現できるとしたらこの程度、でも僕はそこに憧れを持っている。

 

 さて、そんな訳で前向きな希望を抱きつつ(今だけかもしれないが)IT業界を目指している訳だが、他方で思うこともある。「技術の進化は何を目指して行われているのだろう」と。

 新しい素晴らしい技術が生まれて、より便利に、より効率的になれば、その技術を用いた需要が生まれ、お金が生まれる。そういうことを繰り返して、色々な企業は努力し、開発を続けてきたのだと思う。当たり前のことかもしれない。これを繰り返してきて、たった20年や30年そこらで社会は別世界のように様変わりした。

 この急速な社会の変化をどうみるか。「より便利に、より効率的に。」そこに終着点は無いと思う。より良い世界を永遠に求め続ける世界は素晴らしい事かもしれない。

 他方で、「より効率的に」なっているはずなのになぜか労働時間、労働量は減らない。経済も良くならなければ、給料も上がらない。それは上段で書いた流れにいる限り当たり前なのだが、結局労働量や経済が変わらないのだったら、そこに意味はあるのだろうか?と思うわけである。ついでに言えば、今後AIが一般的になり、さらにその先の技術革新が起こったとしても、僕はそこまで今より幸福度は上がらないと思う。

 

 ビジネス。需要がある限り、お金が生まれ、技術が進化していく。今まではそれで良かったかもしれない。けれどこのスピードでさらに数十年、数百年と技術と時代が進化していったとして、何を目指し、何を求めて、進化していくのか。終着点はあるのだろうか。

 

 これから、ITという先端技術の世界で働いていく上で、こういった疑問に向き合い、自分なりの答えを見つけ出したいと思うのである。

就活失敗後からようやく考えが纏まってきたという話

 4月。やっと俺の新社会人生活がスタート・・・となってはいなく、ニートになってしまった。

 

 大学では体調に振り回された挙句に、2年間就活をしたが、1次面接が通ったこともほぼ無く、終いには昨年の秋に(自分の中では)かなり重度の鬱にかかってしまい、就活を断念。ようやく、年明けから鬱が抜けてきたが、鬱の残滓みたいのが残ってたり、そもそも体力的にも精神的にも4月からフルタイムで働けないと判断して、今に至る。

 なんとか大学を3月に卒業できたのが唯一の救いか。

 状況が状況なだけに、かなり悲観的になったり不安を抱えそうにもなるけれど、悲観や不安は昨年までひたすら繰り返してやってきたので、なるべくネガティブな感情を抱かないようにしている。特に昨年末の鬱が現実から逃げたくて衝動的になったりとかで、かなり酷く辛く、もう経験したくないので、メンタル管理はかなり気を使っている。今は普通に元気だ。

 さて、そんなこんなで復調して来た訳だから、今までは意識的に考えることを抑えていた問題について向き合わないといけない。自分の人生についてだ。そして1,2か月悩んでいたが、ようやく考えがまとまってきた。(ハローワークとかにも相談にいったりした)忘れないように書いておく。

 

 まず、「僕はどうなりたいのか?」→とりあえず自分でご飯食べて生活できるくらいの収入が欲しい。その収入を得られるくらいに労働をこなせる程度の人間になりたい。

「なぜ就活に失敗したのか」→「大学時代は体調に振り回されてアルバイトもできなかった、だから企業側から見て、人間性以前に労働ができる人間だと思われなかった」

 欲を言えば正社員になりたいし、ある程度貯金も欲しい。最終的には、運転が好きなので車1台ほしい。これは夢に近い。

 

 では、上記の目標の為に今、何をするべきか。契約社員派遣社員にしろ就活では、面接で「ニート期間何をしていたか?」を問われるので、そこに的確な返答ができる行動をとるのが今やるべきことだ。

 とりあえず春くらいから何となく始めたIT系の資格の勉強を今していて、モチベーションがあるのでこれを資格試験の日まで継続して集中して取り組む。同時にジムとか言って体力をつける。

 バイト、労働をしなくてはいけないが、今、メンタル的にも体力的にもハードルが高いので、同時並行でやるよりは、5月中旬に試験があるので、これが終わってからでもいいのではないか、という判断をした。なので、試験が終わり次第、アルバイトを探して働く。ここが一番大事なポイントで、アルバイト経験がほぼ無い僕からしたらハードルが高いけれど、ここを乗り越えないと何も始まらない。

 そしてアルバイトの日数を増やしていったりして、「働ける」という実績を積めたら、いよいよ資格を持って就活して派遣なり契約なりでも、IT業界に身を置ければいいな、と思うのだ。

 

 もちろん、甘い計画かもしれないし、うまくいかないかもしれない。でも、今までうまくいかなくて、漠然と就職に対する不安を抱えていた自分よりは、気持ちが前に向いている。

 今はニートだ。中学生高校生くらいの時からずっと考えていた最悪の状況に置かれている。自分で書いていて「俺は本気を出していないだけ」って言っている悲しいニートに見えてきた。それでも、やれることから一つずつこなしていくしかない。醜く酷い現状を自覚しながら、それでも悲観せずに生きていきたい。そんなことを思いつつ、人生をまた一歩歩み始めるのだ。

世界は変わったんだなと戦争を見て思う

 1週間くらい精神的に調子が悪かった。自分でも気づいていなかったが、戦争のニュースでメンタルが削られていたようだ。だから今はできるだけ興味関心を持たないようにしてるけど、それでも考えてしまうし見てしまう。

 戦争はやってはいけないことでとても悲惨なこと。そういうことを踏まえた上で思ったことがいくつかあるので書いてみる。

 世界は平和に近づいていたんだな、と思った。

 ロシアの戦争に対して、世界はおろか、ロシア国内ですら戦争に反対している。戦争をしたい人は本当に100人もいないんじゃないだろうか。そうした、全世界とまではいかないけど殆どの人が「戦争反対」という意思を持っているんだな、ということを実感した。

 ウクライナが悪いという見方がある。ロシアに賛同する国もいる。でも武力行使は誰もが反対している。まだ第二次世界大戦で百年も経っていないのに、世界はすごく変わったと思う。昔だったら戦争に反対する人はいただろうが、それ以上に武力による侵略行為に肯定的で疑問を呈さない人が多かったのではないだろうか。それに比べて、今の世界は「戦争反対」の声がほとんどで、世界がその意志のもとに団結している。

 「国際社会」「平和」「戦争反対」「核廃絶」。平和の中で過ごせている自分は、これらのワードがどこまで世界が真剣にそう思って目指しているのか、いまいちわからなかった。日本人以外はどこまで世界平和を願い、戦争を忌み嫌うのか。答えは、今。自分が思っている何百倍ものひとが「世界平和を目指す」「戦争はよくない」と思えていることに驚いたし、政治の世界だけではなく、しっかりと戦後から世界は変わっているのだなと思った。

 

 今が世界平和に最も近づいている時代

 人間史・・・と語れるほど歴史に詳しくはないが、人類はこれまで長い間戦いの歴史を繰り返してきた。そうやって考えると今のこの時代は、その長ーーーい戦いの歴史から脱却して、世界が団結して世界平和を目指すということ初めて現実的に目指せている瞬間なわけである。

 いってしまえば、ついこの前まで第二次世界大戦をしていたばかり。上でも書いたように世界は大きく変わって新しい時代になった。でも、ついこの前まで起こっていた戦争をする時代に生きていた人間の考えがいまだに残っていることも不思議ではないのじゃないかと思うのだ。

 北朝鮮やロシア、それに中東。戦争をして、領土を広げ国力を付ける。そんな少し前のあたりまえの常識から抜け出せていない人が、まだギリギリ残っていてもおかしくない時期なのではないだろうか。

 こうやって考えてみると、今の世界各国が一致団結しようとして戦争を止めようとするこの時代は、昔の戦争で苦しんでいた人たちが夢にみた理想の世界となっているのではないかと思う。

 

 

 この理想の世界、理想に近づいている今の時代を、「あの頃が一番平和に近づいていた」「数千年の歴史の中で奇跡の100年だった」と後世の人たちに言われないよう、どうか、戦争が終結し、また今までのスピードでも良いから世界平和に前進していくこの時代がずっと続いて欲しいと思うのである。

正義と幸福と平等と。本を読んでて思ったこと。

最近読んでる本

 昨年からだらだら読み続けてる本がある。「ハーバード白熱教室講義録」という本だ。内容はハーバード大学の「justice」という講義を文章化したもの。正義についてさまざまな例を挙げながら、哲学的に多方面から検討している。学生の発言もふんだんに載っており、まさに講義を受けている感じで読めている。正直、難しくて半分くらい理解できていないが・・・。

 まだ途中だが(下巻の半分くらい)、そろそろ語りたいという欲求の我慢の限界が近づいてきたので、読んでいて思ったことをアウトプットしたいと思った。twitterでやってもいいんだけど長文になっちゃうしね。

 

考えが変わった

  さて、今回は正義について何となく語ろうと思う。

sato-tk.hatenablog.com

 以前、正義について適当に語ったことがある。この時は「「正義」という言葉を使って自己正当化をしている人間が多い。「正義」なんて個人の定義によって変わるもので、唯一無二の「正義」は存在しないんじゃないか」

と、こんなことを言っていた。しかし、正義とは○○である、と一言では表せないが、「人それぞれの正義があり、そこに正解は無い」というのは、思考放棄でしかないことをこの本を読んで痛感した。唯一無二の答えなど存在しないからこそ、深く検討する。これが哲学であり、意味がある行為なのだと。

 この本を読んでいて、なんとなーーーーく思ったことがいくつかある。ちゃんと書ける気はしないが書いてみる。

 

・何が正しいか、などについて考える時は、自分含めた人々が幸福になること、が大前提である。

 この本を読んでいて考えが改まった点。自分は論理的に物事を考える人に憧れ、そういう人になりたいと思いながら過ごしている。物事の善悪や問題を考える時、なんとなく「これはこうだから、こうなる」みたいな考え方を意識してきたが、最終的にどうなれば良いかということを意識をせず、ただだらだらと考えてきた。この考え方では、誰かが不幸になる冷たい結論を導き出したとしても、それが自分の正しい結論として導き出してしまう。「これはこうだから、こうなることは仕方ないよね」みたいな。

 でも、それは多分本来考えるべきことを途中で放棄していることになっていたんじゃないかと思う。幸福になる、ポジティブな結果になる為にはどうすればいいか、を本当は考えなきゃいけない。「こうなることは仕方ない」、じゃあその前提を踏まえた上でどうするか。当たり前のことでしかないが、目標を「幸福になる」という適当なものでも、それを置いておくことで、物事をもう少し考えられるのじゃないかと思った。

 書いてて思ったが、これが今の自分の欠点と改善点な気がする。

 

・人々は平等じゃないし、平等を目指すべきでもない。

 これは、もともとなんとなーく思っていることで、まだ自分の中で結論は出ていないこと。

平等であることが大事だって習った。

「平等であることが大切、人類はみな平等である。」こういうことを小学校から習っていたきた気がする。福沢諭吉も「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずといえり~~」みたいなことを言ってた気がするし、キング牧師も「We hold these truths to be self-evident that all men are created equal」って言ってた。詳しいことは知らないけど。

 この人たちの言っていることは正しいと思うし否定する気もない。人間は誰しも、平等な権利を持っていて、全人類の個人個人が自らの幸福を追求する権利があって、それを妨げてはならない。って最近習った憲法でも言ってた気がする。やっぱり正しい。

平等であることが正しい?

 でも、一方でやっぱり人間はみな色々な事情を抱えているし、みんな考え方も全く違う。だから、競争も起こるし、半ば納得いかないことで不利益を被ることも往々にしてある。(上で言った欠点を速攻で繰り返すことになるが)それは当たり前のことで仕方のない事だと思うのだ。

 だから言い表しづらいんだけど、「あの人が得ている利益は、私も得て幸福になるべきだ。それが平等ということで正しい権利を私は主張しているのだ!」という主張を考えるとすると、皆が平等に権利があることが正しいとは思えない。

今のところ僕が思う結論

 確かに人種差別や、本に出てくる言葉を借りるなら恣意的な要素で、人をけなしたり差別をすることは間違っている。絶対に良くないことだ。しかしながら、そういった負の人種差別の問題の存在が大きいからこそ、最近のジェンダー問題やその他の問題に対して、平等という言葉を盾にしてなんでもかんでも主張する人が増えてる気がする。

 だから僕は、皆が一人でも多く幸福に、生きやすい社会になるべきだと思うが、それが人類皆平等になることとイコールかというと違うと思う。これが正解ではないのだろうけど、この辺の問題から考え始めれば、もう少し建設的な議論ができるんじゃないかなと思います。

 

 

 さて、ここまでぶわーっと書いたが早2000字。大学のレポートと変わんねえ。長すぎて誰も読まねえだろ。かなしいなあ。でも、メモ書き程度に自分の為に書いているからいいのだ。でもそれっぽく書いてて全部当たり前の話な気がする。やっぱりかなしいなあ。

 では、今日はこの辺で。考えてぐるぐるしてたことが出せてすっきりした。また書くかも。

2022年になり、大学が終わり...

 今自分のブログを書こうと自分のブログを見返していたら、昨年は2回しかブログを書かなかったらしい。今年は10回を目指して更新したい。

 

 さて、年が明けて1か月。先々週位に長かった大学が終わり、あとは卒業できますよ、という報せを待つのみとなった。そして年明けごろから自分のメンタルも復調してきた。友達からも以前より色々ゲームなどに誘われる回数が増え、ようやく日々が楽しくなってきた今日この頃。とても順調で幸せだ。

就職ができていないこと以外は。

 一番やらなきゃいけないことができていないが、もう考えても仕方ない。頑張ります。正社員フルタイム以外のお仕事なんかします。頑張ります。

 

 さて、2022年になって大学が終わった。就職先がいまだ決まっていないが、いやむしろ決まっていないからこそ、人生で初めてこれからのやることが真っ白な世界に飛び出すことになった。2年以上、散々色々悩み、時には精神を崩していた。精神が安定して、大学が終わった今、前向きになってもいいじゃないか、と思うわけだ。毎年はじめに思っていることだけど、のびのび新しいことをはじめ、挑戦する年にしたいと思う。

 これも毎年恒例だが痩せよう。とにかく。コロナ禍の期間は自分にとって暗黒期間で、15キロも太ってしまった。5キロでもいい。痩せるというより体重を落とさなければ。

 しかし、あれだ。ポジティブな気分なのは良い事だが書くことがない。正確には書きたいことは溜まっているけど、ちゃんと一個の独立した記事として作りたい。

 

 偶には、中身のないブログでもいいじゃないか。今年は色々な出会いがありますように。そう願いながら、ひとまず今日のところはこの辺にしよう。

 

【備忘録】努力しなければ幸せになれない?

 このブログはあまり使ってないけど、書いていることは2つの種類に分かれる。一つは、哲学的な感じで物事を考えること、もう一つは自分自身のことだ。今回は後者。

 最近、何か自分のことについていろいろ考えることが多くなった。正確には考えようとするけど、うまくまとまらない感じ。

 

今の自分の生活

 前回のブログでは、就活がうまくいかなくて色々思いを吐露した形跡がある。結局就活は内定をもらうことが叶わずにリタイアしてしまった。理由は、思いっきり鬱になってしまい、正直4月からフルタイムで働ける感じではなくなってしまったからだ。

 そんな訳で、今は大学の授業に集中しつつ、のんびり日常の生活を過ごしている。就活を諦めたことは結果的にまずいことになるかもしれないけど、体調や精神が最近は元気で健全な感じである。正直自分の大きな選択をこれまで後悔した経験はあまりないし、あとで振り返っても、自分の選択を納得できる人間だということに気づいたので、先の心配はしないことにしておこう。

 

 生活が以前より充実している、と思う。鬱っぽかった期間は、イライラしながらAPEXをずっとやっていたが、最近はAPEX含め、楽しくゲームをプレイできているので、そんなところから自分の精神の健康状態を把握できてたりする。

 これまで偶にやってたFF14を6.0が近いので再開したが、すごく楽しく感じている。基本的に交友関係が少なくなっている自分は、顔の知らない人間であれ、のんびりチャットして遊ぶ行為が、今の自分に合っているのかな、と思う。FF14は運営が好きなので、可能ならのんびり続けていきたい。

 精神が健全になり、生活が充実してきたな、と思う背景に大学の通学が再開できたことが大きい。今期は、ほぼ自分の受けたい授業を受けれていて、特に、哲学の授業であれやこれを思考する作業がとても心地よい。正直哲学についてもっと学んでいたいなと思う。ほかの授業でも、簿記的な授業やjavaVBA等、多分将来役立つ事柄を授業で学べていることは、有意義な気がして、これまで非生産的な毎日を送っていた過去の自分からすると充実感を感じるのである。

 

最近の悩み

 他方、友達や人間関係が少ない。たまに遊びに付き合ってくれる友人は一人二人いてくれて、感謝しかないのだが、大学内や街にでて、社会で生きている人を見ると、人間関係が少ない自分の状況を、不満に思うのだ。不満に思うと書くと、原因を誰かに責任転嫁しているのだが、もちろんこの状況を作っているのは他でもない自分である。正直、仕方がない状況だと思うけども、人間関係を色々構築し、様々な経験をすることに憧れてしまう。

 そんなことでタイトルにあるようなことを日々考えてしまうのだ。これまで書いてきたように、生活はだいぶ充実してきたと思う。この現状を望んでいたはずなのに、いざそこに到達すると、また、他者と自分を比較して憧れてしまう。この状況は人間である以上、性なのかもしれないと思うが、どうなんだろう。願望といえば、そこに向かって努力すれば良いという綺麗な事になるが、欲望といえば、そうかもしれないのだ。

 

幸せと努力

 結局、その為に何をすればいいのだろうか。それは勿論自分を磨く努力をすればいいのだ。しかしながら考えてしまう。社会に普通に生きている人たちは、幸せな人達は、そこまで努力して、一般的な生活を手に入れたのだろうかと。

 勿論、僕から見たら幸せだと思う人は現状に満足していなかったり、日々のストレスや悩みが多くあるのだろう。でも、僕からしたらそのラインに立つことが今のあこがれなのだ。皆、努力はしているのだろう。滅茶苦茶つらい努力を頑張って懸命にしている人がいるのは知っている。でも思うのだ。血の滲むような努力をしている人間は、意外と少ないのではないかと。

 正直、周りの努力を知らない自分は、自分がこれまで努力してきた、と胸を張って言えない。努力なるものをした経験はあるが、それを「努力した」と呼べるほど輝かしいものだったのかは分からない。少なくとも、死ぬほどやったことは無いかもしれない。

 でも、そこまでしないと自分がなりたい人間になるのは、難しいのだろうか。「幸せになりたいという前に、何か努力をしろ」というのは、どこか綺麗事なのではないだろうか。

 

 現状を打破しようと思うなら、何かをしなくては、今以上に頑張らなければ何も起こらない。機会など訪れない。だから、今自分が幸せになる為に、何をどうするか、どう生きるのかを自分なりに必死で模索している。頑張る。けれど、他者と比較して、憧れを抱いた自分は疑問を感じることになる。そこらへんにいる人は、どこまで必死に生きているのだろうかと。