Take it Easy

適当にのらりくらりと思ったこととか書いていきます。文字に書き起こすと思考が整理されるといわれているように、そんな感じに自分のために書いているので、書いてあることは大したことじゃないですね。

【備忘録】努力しなければ幸せになれない?

 このブログはあまり使ってないけど、書いていることは2つの種類に分かれる。一つは、哲学的な感じで物事を考えること、もう一つは自分自身のことだ。今回は後者。

 最近、何か自分のことについていろいろ考えることが多くなった。正確には考えようとするけど、うまくまとまらない感じ。

 

今の自分の生活

 前回のブログでは、就活がうまくいかなくて色々思いを吐露した形跡がある。結局就活は内定をもらうことが叶わずにリタイアしてしまった。理由は、思いっきり鬱になってしまい、正直4月からフルタイムで働ける感じではなくなってしまったからだ。

 そんな訳で、今は大学の授業に集中しつつ、のんびり日常の生活を過ごしている。就活を諦めたことは結果的にまずいことになるかもしれないけど、体調や精神が最近は元気で健全な感じである。正直自分の大きな選択をこれまで後悔した経験はあまりないし、あとで振り返っても、自分の選択を納得できる人間だということに気づいたので、先の心配はしないことにしておこう。

 

 生活が以前より充実している、と思う。鬱っぽかった期間は、イライラしながらAPEXをずっとやっていたが、最近はAPEX含め、楽しくゲームをプレイできているので、そんなところから自分の精神の健康状態を把握できてたりする。

 これまで偶にやってたFF14を6.0が近いので再開したが、すごく楽しく感じている。基本的に交友関係が少なくなっている自分は、顔の知らない人間であれ、のんびりチャットして遊ぶ行為が、今の自分に合っているのかな、と思う。FF14は運営が好きなので、可能ならのんびり続けていきたい。

 精神が健全になり、生活が充実してきたな、と思う背景に大学の通学が再開できたことが大きい。今期は、ほぼ自分の受けたい授業を受けれていて、特に、哲学の授業であれやこれを思考する作業がとても心地よい。正直哲学についてもっと学んでいたいなと思う。ほかの授業でも、簿記的な授業やjavaVBA等、多分将来役立つ事柄を授業で学べていることは、有意義な気がして、これまで非生産的な毎日を送っていた過去の自分からすると充実感を感じるのである。

 

最近の悩み

 他方、友達や人間関係が少ない。たまに遊びに付き合ってくれる友人は一人二人いてくれて、感謝しかないのだが、大学内や街にでて、社会で生きている人を見ると、人間関係が少ない自分の状況を、不満に思うのだ。不満に思うと書くと、原因を誰かに責任転嫁しているのだが、もちろんこの状況を作っているのは他でもない自分である。正直、仕方がない状況だと思うけども、人間関係を色々構築し、様々な経験をすることに憧れてしまう。

 そんなことでタイトルにあるようなことを日々考えてしまうのだ。これまで書いてきたように、生活はだいぶ充実してきたと思う。この現状を望んでいたはずなのに、いざそこに到達すると、また、他者と自分を比較して憧れてしまう。この状況は人間である以上、性なのかもしれないと思うが、どうなんだろう。願望といえば、そこに向かって努力すれば良いという綺麗な事になるが、欲望といえば、そうかもしれないのだ。

 

幸せと努力

 結局、その為に何をすればいいのだろうか。それは勿論自分を磨く努力をすればいいのだ。しかしながら考えてしまう。社会に普通に生きている人たちは、幸せな人達は、そこまで努力して、一般的な生活を手に入れたのだろうかと。

 勿論、僕から見たら幸せだと思う人は現状に満足していなかったり、日々のストレスや悩みが多くあるのだろう。でも、僕からしたらそのラインに立つことが今のあこがれなのだ。皆、努力はしているのだろう。滅茶苦茶つらい努力を頑張って懸命にしている人がいるのは知っている。でも思うのだ。血の滲むような努力をしている人間は、意外と少ないのではないかと。

 正直、周りの努力を知らない自分は、自分がこれまで努力してきた、と胸を張って言えない。努力なるものをした経験はあるが、それを「努力した」と呼べるほど輝かしいものだったのかは分からない。少なくとも、死ぬほどやったことは無いかもしれない。

 でも、そこまでしないと自分がなりたい人間になるのは、難しいのだろうか。「幸せになりたいという前に、何か努力をしろ」というのは、どこか綺麗事なのではないだろうか。

 

 現状を打破しようと思うなら、何かをしなくては、今以上に頑張らなければ何も起こらない。機会など訪れない。だから、今自分が幸せになる為に、何をどうするか、どう生きるのかを自分なりに必死で模索している。頑張る。けれど、他者と比較して、憧れを抱いた自分は疑問を感じることになる。そこらへんにいる人は、どこまで必死に生きているのだろうかと。