Take it Easy

適当にのらりくらりと思ったこととか書いていきます。文字に書き起こすと思考が整理されるといわれているように、そんな感じに自分のために書いているので、書いてあることは大したことじゃないですね。

正義と幸福と平等と。本を読んでて思ったこと。

最近読んでる本

 昨年からだらだら読み続けてる本がある。「ハーバード白熱教室講義録」という本だ。内容はハーバード大学の「justice」という講義を文章化したもの。正義についてさまざまな例を挙げながら、哲学的に多方面から検討している。学生の発言もふんだんに載っており、まさに講義を受けている感じで読めている。正直、難しくて半分くらい理解できていないが・・・。

 まだ途中だが(下巻の半分くらい)、そろそろ語りたいという欲求の我慢の限界が近づいてきたので、読んでいて思ったことをアウトプットしたいと思った。twitterでやってもいいんだけど長文になっちゃうしね。

 

考えが変わった

  さて、今回は正義について何となく語ろうと思う。

sato-tk.hatenablog.com

 以前、正義について適当に語ったことがある。この時は「「正義」という言葉を使って自己正当化をしている人間が多い。「正義」なんて個人の定義によって変わるもので、唯一無二の「正義」は存在しないんじゃないか」

と、こんなことを言っていた。しかし、正義とは○○である、と一言では表せないが、「人それぞれの正義があり、そこに正解は無い」というのは、思考放棄でしかないことをこの本を読んで痛感した。唯一無二の答えなど存在しないからこそ、深く検討する。これが哲学であり、意味がある行為なのだと。

 この本を読んでいて、なんとなーーーーく思ったことがいくつかある。ちゃんと書ける気はしないが書いてみる。

 

・何が正しいか、などについて考える時は、自分含めた人々が幸福になること、が大前提である。

 この本を読んでいて考えが改まった点。自分は論理的に物事を考える人に憧れ、そういう人になりたいと思いながら過ごしている。物事の善悪や問題を考える時、なんとなく「これはこうだから、こうなる」みたいな考え方を意識してきたが、最終的にどうなれば良いかということを意識をせず、ただだらだらと考えてきた。この考え方では、誰かが不幸になる冷たい結論を導き出したとしても、それが自分の正しい結論として導き出してしまう。「これはこうだから、こうなることは仕方ないよね」みたいな。

 でも、それは多分本来考えるべきことを途中で放棄していることになっていたんじゃないかと思う。幸福になる、ポジティブな結果になる為にはどうすればいいか、を本当は考えなきゃいけない。「こうなることは仕方ない」、じゃあその前提を踏まえた上でどうするか。当たり前のことでしかないが、目標を「幸福になる」という適当なものでも、それを置いておくことで、物事をもう少し考えられるのじゃないかと思った。

 書いてて思ったが、これが今の自分の欠点と改善点な気がする。

 

・人々は平等じゃないし、平等を目指すべきでもない。

 これは、もともとなんとなーく思っていることで、まだ自分の中で結論は出ていないこと。

平等であることが大事だって習った。

「平等であることが大切、人類はみな平等である。」こういうことを小学校から習っていたきた気がする。福沢諭吉も「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずといえり~~」みたいなことを言ってた気がするし、キング牧師も「We hold these truths to be self-evident that all men are created equal」って言ってた。詳しいことは知らないけど。

 この人たちの言っていることは正しいと思うし否定する気もない。人間は誰しも、平等な権利を持っていて、全人類の個人個人が自らの幸福を追求する権利があって、それを妨げてはならない。って最近習った憲法でも言ってた気がする。やっぱり正しい。

平等であることが正しい?

 でも、一方でやっぱり人間はみな色々な事情を抱えているし、みんな考え方も全く違う。だから、競争も起こるし、半ば納得いかないことで不利益を被ることも往々にしてある。(上で言った欠点を速攻で繰り返すことになるが)それは当たり前のことで仕方のない事だと思うのだ。

 だから言い表しづらいんだけど、「あの人が得ている利益は、私も得て幸福になるべきだ。それが平等ということで正しい権利を私は主張しているのだ!」という主張を考えるとすると、皆が平等に権利があることが正しいとは思えない。

今のところ僕が思う結論

 確かに人種差別や、本に出てくる言葉を借りるなら恣意的な要素で、人をけなしたり差別をすることは間違っている。絶対に良くないことだ。しかしながら、そういった負の人種差別の問題の存在が大きいからこそ、最近のジェンダー問題やその他の問題に対して、平等という言葉を盾にしてなんでもかんでも主張する人が増えてる気がする。

 だから僕は、皆が一人でも多く幸福に、生きやすい社会になるべきだと思うが、それが人類皆平等になることとイコールかというと違うと思う。これが正解ではないのだろうけど、この辺の問題から考え始めれば、もう少し建設的な議論ができるんじゃないかなと思います。

 

 

 さて、ここまでぶわーっと書いたが早2000字。大学のレポートと変わんねえ。長すぎて誰も読まねえだろ。かなしいなあ。でも、メモ書き程度に自分の為に書いているからいいのだ。でもそれっぽく書いてて全部当たり前の話な気がする。やっぱりかなしいなあ。

 では、今日はこの辺で。考えてぐるぐるしてたことが出せてすっきりした。また書くかも。