Take it Easy

適当にのらりくらりと思ったこととか書いていきます。文字に書き起こすと思考が整理されるといわれているように、そんな感じに自分のために書いているので、書いてあることは大したことじゃないですね。

自分は正しいと思って生きている人だらけのこの世界 ‐「正欲」感想①

 どうも、マジョリティ側に行きたいと思っているややマイノリティ側の人間です。

「正欲」という映画を昨日観てきたんだけど、まあよかった。小説の方を今年読んで、今まで読んだ小説の中で一番良かったから、映画の方も観に行ったわけ。

 

この「正欲」そのものというか、それに関連して色々ブログを書きたいなと思いつつなかなか書かずに今日まで来たけどせっかくだし今書いてみたいと思う。上手く書けるか分からないけど・・・。

 

この作品のキャッチフレーズが、「読む前の自分には戻れないーーー」なんだけど、正直読んだ感想は「共感しかない」だった。自分は分かっている側の人間だとか、意識高い系の感じに振舞いたくはないんだけどすごく納得いく作品だったんだよね。レビューとか見てると「気づかされた」とか「価値観が変わった」とかが多くて逆に驚いた記憶がある。

 

 

それはさておき今日は「正しさ」について書いてみる。

人間って殆どの人が「自分は正しい」と思って行動してると最近思う。それは大人だからとかじゃなく人格が形成された幼少期からずっとそう。

よく子供が大人のような口を利いて「生意気だなーーー」とか思うので、大人だけじゃなく、生まれた時から自分の意見や価値観が世界の普通で当たり前と思って生を歩んでいる。

勿論マイノリティ側の人間は自分が普通じゃないことは自覚したりするけど、それでも「どうせマジョリティ側の人間はこの程度しか考えてない浅い人間だろう」と穿った見方をしたりして自己正当化して生きている…気がする。

 

逆に自分に自信が無い人とかで自分の考えに自信が無い人もいるけれど、自信が無い人っていうのはあまり良いとはされていないよね。(何をもって良いと判断するかはさておき)

 

そして正しいと思って行動していることが他者から見れば間違っているように見えて、だからこそ問題や争いは絶えない。

正欲でいえば「不登校になって社会のレールから外れると犯罪者のような人間になっていく」という価値観を信じて疑わない男がいる。不登校というようなイレギュラーが正ではないという価値観は正しいように見えて、それを押し付けて悪だと断じる事は正しい事ではないように見える。

 

自分が正しいと思っている事って大体多数の人が共通して同じことを思っているから、それがマジョリティになってマイノリティを異質なものと認識して社会は接する。

 

ここで厄介だなと思うのが、マイノリティ側を理解して救ってあげる、もしくは、マイノリティの人間をマジョリティ側に引き戻してあげるように手を差し伸べるべきだと思う人が一定数いる事。偏見だけどキラキラしている人に多い。

誰かの抱えている背景を想像して、自分の持っている知識の中で組み立てていって整合性を取る。何が問題となっているのかを自分の中で勝手に見つけて分かったように振舞って接する。

 

 

「困っている人を助けなさい」と昔から教えられてきたせいか、自分の世界を他者に押し付ける。言ってて自分もそういうところが無いとは言えないけれど。

 

押し付けられる人間はたまったもんじゃない。勿論助けてほしい人はいるだろうけど、そういう人は自分で声をあげればいいと思う(抱えている問題にもよるが)。仕事とかそういうのは別だと思うけど、もっとその人の根幹に触れようとする人がいる。

 

自分が正しいと思って生きていくべきだとは思うけど、自分にのみ集中して生きていくべきではないだろうか、というのが最近の僕の意見。手の届く範囲で本当に困っている人がいたら貴方の意見として助言してあげればいい。

でも他者を理解して救ってあげるのって気持ちいいよね、正直。やりがいがある。

 

僕は人間の行動って突き詰めていけば全て自分の欲求の為だと思っている。だから自分が何か行動することによって他者に影響を与える事をするときは「自分の為」と認識しながら行動すれば、そこまで善意の押し付けにならないんじゃないかなーーと思うんですけどどうでしょうか。

 

 

 

でも原作の八重子さんがいうように、いくら「理解してくれって思わない、ほっといてくれ」っていう気持ちをぶつけようが、「それでも私は、理解したいって思う」っていうストレートな言葉には勝てないな、とも思う。難しい。

 

 

また気が向いたら正欲に関して書きたいな。