Take it Easy

適当にのらりくらりと思ったこととか書いていきます。文字に書き起こすと思考が整理されるといわれているように、そんな感じに自分のために書いているので、書いてあることは大したことじゃないですね。

【AI】創られた幸せか創る幸せか

 最近哲学の授業とっているのと、ITロードマップ(次の5年間のIT予想の本)を読んでいるのでAIについて考えることが多くなった。それも哲学的に。いやまぁもともと好きなんだけども。

 

 AIが人間のように、普通に会話し思考し、人間とそん色なくなり存在する・・・のはまだまだ遠い未来のことに思える。今のAIは特化型AIともいうべきか。何か目的があって、それに応じたAIプログラムが作られる、というような感じ。例えば自動車とか、医療だったり、無数にはあるけどすべてこなせる万能型AIは存在していない。

 そもそもAIとは、人間と同じようなプログラムを指すのでAI「技術」といった方が適切らしいけども、それはとりあえずおいていこう。

 今のAIブームは3回目。過去2回のブームは人間のようなAIを目指したらしいが、今回は特化型AI開発が盛んである。それが成功して、次々に各産業において取り入られAIが普及し、各産業で変化が起こっている。今後数年以上はAIは大きなトレンドワードになり続けるだろう…。

 

 というようなことが僕が持ってるAIに対してのなんとなくの知識。ここから本題。

 

 さて、上で述べたこと以外に「AI」と聞くと何を想像するだろうか。「将来AIに仕事を奪われる」「AIが人間を支配する」。ネガティブなことも多いように思える。

 AIが人間を支配する。これは人間の本能として怖いことかもしれない。でも、支配のレベルを考えなければ、ある意味人間はすでにAIに操られているのかも?と考えることができると思う。

 例えば、グルメサイト。今もう現実にあるかはわからないけど、個人個人の食の趣向をAIが判断して、人間がそれをもとに食事をしに行く。これって、AIに従って人間が行動していることにはならないだろうか?

 例えば、職業診断。複数の情報を入れること、もしくは様々な個人のデータを読み取って、それをAIが判断して「あなたはこういう仕事に適正があります。」と教えてくれてそれを参考に仕事選びをする。これって人生の大事な判断をAIに委ねていないだろうか?

 別にこれが悪いことと言いたいわけではない。そもそも人間が効率よく物事を進めるために作られた技術がAIなのだから、AIを参考にしながら生活することは当たり前のようにも思えるし、なんならみんなやっている。

 

 でも、先ほどの二つの例に似たことを積み重ねていって空から人間社会全体を俯瞰すると、AIに操られているようにも見えなくはないんじゃないか?と僕は思うのだ。

 

 AIに人間が操られ支配されるのは怖い、しかし身近なことを見方を変えて考えてみるとすでにそれは始まってるように思える。しかしながら、意外とそれらは普通のことに感じる。

 ここで、この記事のタイトルがでてくる。創られた幸せか、創る幸せか。AIの判断によって(あるいはAIを使うことによって)人間はある種幸せを感じる。(幸せの定義はここではしない)それは誰も損していない。しかしAIに創られた幸せを人間が享受している、というように考えると不気味に思えてくる。それは人間らしくはない、と。ここが大きな矛盾点であるという風に考える。

 

 僕たちは、定義は人それぞれだけどみんな幸せになりたいはずだ。でもそれが機械の計算によってもたらせるものでいいのだろうか?個人的にはそれで良いと思っているのだけど、それを良しとする人は少ないと思う。なぜ?というと難しいけど生理的に受け付けない気がする。

 

 将来的には、食べ物や職業診断ではなくもっと大きなあらゆることの判断にAIが用いられていくと思う。そしてそれは「便利だな」と言ってみんな使い、「AIに操られている」という意識を持つ人間は少ない中、その流れは進んでいく。創られた幸せではなく、自分たちの手で創った、掴んだ幸せである、と胸を張って言える時代はもうすぐ終わるのかもしれない。