悩みの相談に乗ることは偽善者なのか?
(タイトル適当につけたんですけどそんな固い記事じゃないです)
普段歌ってみた系のそれは聞かないんですけど、この曲は良い。甘酸っぱい気持ちになりました。
さて、ちょっと今不思議な気分なので書いています。
また、何度か同じようなこと書くかもしれないけど。
最近SNSやっていると病んでる人をよく見かけます。女性が多いかな。
悪く言えば病んでるアピールしてかまってほしい、良く言えば、承認欲求が欠如している人と、たぶん本気で病んでる人がいると思います。後者でも承認欲求の欠如なのかな。
僕は前者を否定するわけではないですが、今回は後者のほうを書いてみます。
色々書きたいんだけど、まぁゆっくりと。
SNSでのそういった病んでる感じのツイート、「うざい」って思う人ももしかしたらいると思うんですが、僕はこれSNSの利点かなぁなんて思ったりします。
病んでたり悩んでたりするとそれを直接人に話す訳にもなかなかいかないので、ふわふわした世界のSNSにふわっと書くことはできるかもしれない。要はなかなか言えない「HELP」が言えるんですよね。いや書いててわかんなくなったけど。
実際にじゃぁ相談に乗ってくれるかって言ったら分からないけど、なんか「他者と悩みを共有する」って解決の一つじゃないですか。そんな感じそんな感じ。
一方で、善人アピールをしたいわけじゃないんですが、そんな悩みを抱えた人の相談に乗ってあげたいなぁって結構思うんすよ。でもじゃぁ僕に人の悩みを解決できるかっていうといまいち自信なくって。
っていうのに矛盾するけど、何回か失敗して気づいたんだけどたぶん悩んでる人というか病んでる人は多分共感してほしいだけなんですよね。論理的に解決策を考えるのは無粋なのかなーっておもったりします。難しいですね。好きな子からの相談で失敗したので学びました。
後、最近「悩みを聞いてくれる人はみんな下心を持っているからもうだめだ」みたいなことを最近ツイートで見かけました。本当純粋な気持ちで思ったんですけど、その「下心」ってどこまでなんだろうっていう疑問。こんなこと本人に聞けないですけど。
例えば好きな子が悩んでて、その子のために何かをしたいと思って相談に乗るのってこれ下心なのかなーって。聞こえはいいですけど場合によっちゃ付き合いたいからって解釈もできますよね。付き合いたい、近づきたいから相談に乗るってあると思うんすよ。
こんな感じの内容の下心なんですかね。それよりもっとディープな下心なのかなぁ。
「別にカウンセラーになりたいわけじゃなく、困っている人の悩みを聞いてあげたい」っていう感情を抱くこと。でもこれってただの自己満足でそれこそ偽善者なのかもなぁとも思います、どうなんでしょうか?
僕自身もなんか悩んだり病んだりするので難しいです。
ただなぁ、上の感情とは別に、人が何で何を悩んでるのか、っていう興味もありますね。
今度は病んでる状態の自分を思い出しながら、自己分析のような記事を書きたいですね。
P.S ビールおいしい。でもビール最近飲みすぎてまた太るかもしれないという恐怖・・・。