Take it Easy

適当にのらりくらりと思ったこととか書いていきます。文字に書き起こすと思考が整理されるといわれているように、そんな感じに自分のために書いているので、書いてあることは大したことじゃないですね。

2023年は良い一年になりました!

 毎年この時期はなんだかんだブログを更新できている気がする。あと3時間くらいで2023年が終わるので、今年の振り返り的な記事を更新しようかなと。

 

 今年はここ数年で一番良かった気がする。

 まず体調やらメンタルを壊さずに一年を過ごせた。そのおかげでやろうとしていたことが割とできた。

 仕事は就職さえできなかったものの、週3→週5勤務に増やして特にめちゃくちゃきついって訳でも無く過ごせた。

 今は一日6時間勤務だけど、なんとかぎりぎり8時間も行けそうな気がするっていう自信が付いた。結局大学卒業後も何度か就活はしていたけど、今考えればそんな焦る必要は無かったような気がする。これで「自信をもってフルタイムで働ける」という状態で就活ができる。人生のステップを1個踏めた気がする。

 

 それとTOEICで745という目標スコアを上回るスコアをとれた。昨年730以上取ろうと言っていたのでこれも目標達成。とはいえ、正直あまり就活には役立ちそうには無いのでほぼ趣味の範疇ではあるが、いつか使える時が来るかもしれない。

 ということで他にやることもないし、また勉強を再開した。来年は800目標!だけどここからの壁は高い気もするので、できる限り頑張ろう。

 

 最後にジムとかダイエットとか。今年6月からまたジムに行きだして継続的に通えているのは良い事の一つ。相変わらず脂肪は多いが、5キロくらい落とした。来年こそ小太り状態を脱して筋肉をつけることに集中するステージまで行きたいな。

 筋トレは本当にメンタルを保ってくれている気がする。ジムで筋トレ1年続く人は5%だそう。その5%に入れるように継続していきたいですな。

 まずは体脂肪率20%を切ろう…。体重は今77㎏なので75㎏までとりあえず落とすぞ。

 

 今年やろうとしていた「フルタイムの準備」「TOEIC730以上」「ダイエット」はある程度できたし、何より「やるべきことをやる」ということができた。

 

 来年はもう27歳だけど、この調子で新しい人生を進んでいく年に来年はしたい。来年こそ就職したいな。いや、します。あと痩せます。普通体型になります

 

 頑張り続ければ良いことあるぞ、きっと。来年も良い一年になりますように。今年も一年ありがとうございました。

自分は正しいと思って生きている人だらけのこの世界 ‐「正欲」感想①

 どうも、マジョリティ側に行きたいと思っているややマイノリティ側の人間です。

「正欲」という映画を昨日観てきたんだけど、まあよかった。小説の方を今年読んで、今まで読んだ小説の中で一番良かったから、映画の方も観に行ったわけ。

 

この「正欲」そのものというか、それに関連して色々ブログを書きたいなと思いつつなかなか書かずに今日まで来たけどせっかくだし今書いてみたいと思う。上手く書けるか分からないけど・・・。

 

この作品のキャッチフレーズが、「読む前の自分には戻れないーーー」なんだけど、正直読んだ感想は「共感しかない」だった。自分は分かっている側の人間だとか、意識高い系の感じに振舞いたくはないんだけどすごく納得いく作品だったんだよね。レビューとか見てると「気づかされた」とか「価値観が変わった」とかが多くて逆に驚いた記憶がある。

 

 

それはさておき今日は「正しさ」について書いてみる。

人間って殆どの人が「自分は正しい」と思って行動してると最近思う。それは大人だからとかじゃなく人格が形成された幼少期からずっとそう。

よく子供が大人のような口を利いて「生意気だなーーー」とか思うので、大人だけじゃなく、生まれた時から自分の意見や価値観が世界の普通で当たり前と思って生を歩んでいる。

勿論マイノリティ側の人間は自分が普通じゃないことは自覚したりするけど、それでも「どうせマジョリティ側の人間はこの程度しか考えてない浅い人間だろう」と穿った見方をしたりして自己正当化して生きている…気がする。

 

逆に自分に自信が無い人とかで自分の考えに自信が無い人もいるけれど、自信が無い人っていうのはあまり良いとはされていないよね。(何をもって良いと判断するかはさておき)

 

そして正しいと思って行動していることが他者から見れば間違っているように見えて、だからこそ問題や争いは絶えない。

正欲でいえば「不登校になって社会のレールから外れると犯罪者のような人間になっていく」という価値観を信じて疑わない男がいる。不登校というようなイレギュラーが正ではないという価値観は正しいように見えて、それを押し付けて悪だと断じる事は正しい事ではないように見える。

 

自分が正しいと思っている事って大体多数の人が共通して同じことを思っているから、それがマジョリティになってマイノリティを異質なものと認識して社会は接する。

 

ここで厄介だなと思うのが、マイノリティ側を理解して救ってあげる、もしくは、マイノリティの人間をマジョリティ側に引き戻してあげるように手を差し伸べるべきだと思う人が一定数いる事。偏見だけどキラキラしている人に多い。

誰かの抱えている背景を想像して、自分の持っている知識の中で組み立てていって整合性を取る。何が問題となっているのかを自分の中で勝手に見つけて分かったように振舞って接する。

 

 

「困っている人を助けなさい」と昔から教えられてきたせいか、自分の世界を他者に押し付ける。言ってて自分もそういうところが無いとは言えないけれど。

 

押し付けられる人間はたまったもんじゃない。勿論助けてほしい人はいるだろうけど、そういう人は自分で声をあげればいいと思う(抱えている問題にもよるが)。仕事とかそういうのは別だと思うけど、もっとその人の根幹に触れようとする人がいる。

 

自分が正しいと思って生きていくべきだとは思うけど、自分にのみ集中して生きていくべきではないだろうか、というのが最近の僕の意見。手の届く範囲で本当に困っている人がいたら貴方の意見として助言してあげればいい。

でも他者を理解して救ってあげるのって気持ちいいよね、正直。やりがいがある。

 

僕は人間の行動って突き詰めていけば全て自分の欲求の為だと思っている。だから自分が何か行動することによって他者に影響を与える事をするときは「自分の為」と認識しながら行動すれば、そこまで善意の押し付けにならないんじゃないかなーーと思うんですけどどうでしょうか。

 

 

 

でも原作の八重子さんがいうように、いくら「理解してくれって思わない、ほっといてくれ」っていう気持ちをぶつけようが、「それでも私は、理解したいって思う」っていうストレートな言葉には勝てないな、とも思う。難しい。

 

 

また気が向いたら正欲に関して書きたいな。

藻掻く。

藻掻く。

と、この記事のタイトルを付ける時に、まず漢字でどう書くかを調べた。そして意味も調べると、自分のイメージとは違ったものだった。

 

手足をやたらと動かして苦しむさま。悶え苦し様子。「藻掻く」は当て字で、「踠く」とも表記する

 

 なんか違う。「足掻く」でも同じような意味で、苦しく足をばたつかせたり、無意味な努力を行うことを指すのだそうだ。

 では、今自分が行っていることは何というのだろうか。

 

 8月に入ってモチベーションが消えた。疲れたのだ。かと言って何か諦める訳でもなく、今少しだけ休んでまた色々やっていこうとは思っているのだけども。

 ダイエット、就活、勉強、仕事、滑舌矯正。ここ最近一度に色々なことに取り組んでみた。今みたいにいつか息切れするのは承知で、全力でできる時は全力でやる。今はまだ多少息切れしても、休憩することが許されるのだから。

 かといって、いつまでもうだうだしてられないので、少しでも自分のモチベーションを上げる為にこうした記事を書いてみている。

 

 さっき買った小説に「一度人生のレールを外れた人間は堕落していく」という一文があった。まだ読み始めて数ページなので、小説内でこの言葉が否定されるのかは分からないけど、突き刺さった。

 

 自分で稼いで自立していく。これが今の目標だ。今の身分iに引け目を感じて、どこか社会に対して萎縮して生きている一方、今の生活が苦しく辛いものではないと思っているに危機感がある。

 ここまで書いて何が言いたいのか分からなくなってきた。正体が分からない危機感がずっと纏わりついている感じ。

 

 人生のレールから外れまくっている自分は、自分で働いて稼いで生きていく、という基本的なものを目指している。勿論、これでいいのだろうけど、モチベーションが今みたいに無い時は、途端になぜ自分が頑張っているのか分からなくなる。やるべきことを放棄する気は毛頭無いけども。

 

 自分はレールを外れた側の人間として必死に頑張れているのだろうか。そんな身分の人間が、今の生活でのほほんと苦しみを覚えずに生活できていていいのだろうか。

 犯罪を犯している訳でもないし、悪い事をしている訳ではないだろう。ぶっちゃけ本当に辛いことをしているとメンタルがやられるのでわざわざ苦しんだり辛い思いもしたくはないけれど。誰に言われた訳でも無いが、「良いご身分だな」と思う。

 

 別に落ち込んでいる訳ではないし病んでも無いが、こういうことをふと思う。就職すれば消えるのだろうか…。

 

 

 結局こうやって書いていても、未来は分からないからただやるしかないんだなという結論に行きつく。何について悩んでいるかよくわからないけど、そこにリソースを使う暇があれば、やるべきことを一つでもやっていくべきなんだろうきっと。

 

 

 何かをやり続けていれば、歩みを止めなければ、その先に何かがあると信じて。とりあえずこの記事を上げたら、来週受ける会社の志望動機についてでも考えるとしよう。

 

 

 

 

【悩み】人付き合いと好み

 友達を怒らせてしまった、申し訳なさでいっぱいだ。愚痴と反省のブログだ。

 

 とりあえず元気に色々やっていけています。という報告をしておいて、以下本題。

 

 

 今年身内で皆がやってるゲームを始めた。ソシャゲだ。

 結論から言うとハマらなかった。全く面白くない訳ではないけれど、これに膨大な時間をかけたくはないなあと思ったのだ。それと今は特に、ゲームに時間をかけるべき立場に自分は無いと思うのだ。全く時間が無い程忙しくはできていないけど…。

 

 そんなことを踏まえてモヤっとした事を書いていく。自分で幼いと思う悩みだが、僕の欠点だと思うので向き合いたいのだ。

 僕はあまり他人から勧められたものにハマる事は結構少ない上に、つまらないとすぐやめてしまうのだ。これは友達付き合いとしてどうなんだろうか。

 

 今回で2回目。数年前も友達が熱心に進めてきたゲームをやったはいいものの、すぐに飽きてしまって申し訳ない事をした。

 そのゲームが面白いか面白くないか、ということもあるがなんか他人に勧められたものはモチベーションが沸かない。なぜなら自分の中では「やりたい」ではなく人付き合いの為に「やらなければならない」ことに変わってきてしまうからだと思う。半ば強制的にやらされるとどうしても心理的負担が大きい。面倒臭い。

 

 自分の好きなものを共有したい気持ちというのはたぶん全人類ある。だからこそ、自信をもって薦めたものを、「つまらない」と言われると悲しくなるし怒りも覚えるだろう。

 片や、自分の為になることならまだしも(興味ないけどなんか将来どこかで使えそうな学問とか)、あまりそう言う風にはならなそうなものに自分の時間を費やすのはすごく無駄な気がする。

 

 多分多少やった上でつまらないと思ったら辞めていいのだ。ただ、なんか今回は特にグループ皆がやっていて同調圧力的なのがしんどかった。

 

 

 正直今回のこと、こうやって文章にして書き起こしてみると多分根幹にあるのは僕のコミュニケーション能力の無さだ。「悪い、やってみたけど合わなかった」。これでいいのに、どこか回りくどい言い方になって相手をイラっとさせてしまう。というか多分自分はイラっとさせることが多い人間なのかもしれないとふと思った。余計な一言とか多いし。

 なんかストレートに言えない。嫌味に感じさせてしまう。思い返せばそういうことが多々ある気がする。

 

 これから社会に出ようとしている自分。人間関係が少なく、コミュニケーション能力が低い自分。一個一個自覚した欠点を潰して、本とか読んで意識して潰していくしかない。

 今回は友達が怒ってくれたけど、社会のできている大人達は人の欠点を見て見ぬ振りをしてくれる。逆に言えば、そうそう自分の欠点に気づくことは無い。

 

 課題は多いけれど、それでも立派な大人になれるように頑張っていこうとブログを書いていて思った。引き続き頑張ります。あと今友達でいてくれる人は大切にします。押忍。

中々悪くない最近のこととか

 1ヶ月前からこのブログ更新したいな、文章書きたいな、って思いつつ結局書いているのは今。さて、しっかり書ききって投稿ボタン押せるのでしょうか…。

 

 前回の記事は一番色々しんどい時に書きなぐった記事。すごく見苦しいから非公開にしようかとも思ったけど、営利目的でもなんでもない自己満足のブログだしとりあえず消さずにいる。今回は最近の近況と考えていることを文章化して整理してみようと思う。これも自己満足。

 

 さて、前回の記事の内容がきっかけで、1月2月は鬱っぽくなって何もできてなかった。仕事もずっと休んでいた。それでも何とか3月には仕事に戻ってなんやかんやあって気づけばGW前。

 1月から2月の鬱っぽさは抜けたけれど、3月に入って急に寂しいというような心が締め付けられるような感覚が襲ってきてずっと取れなくなっていた。今この瞬間も若干まだ残っている。

 

 

 そんなこともあり、落ち込まない程度に最近は自分自身を見つめ直すことをしている。

 色々考えている中で思ったことは、自分は他者依存みたいのが結構強いなということ。誰かと繋がっていないと不安になりやすい。だけど本当は他人は他人、自分は自分というように、他人の心なんてコントロールできないのだから、他人に期待したり依存したりするような生き方はきっとうまくいかない。

 最近その辺の認識を改めてきていて、本を読んだり自分で考えを変えていってそういった心の不安定さを矯正している。

 

 あとは今まで関わってきた人間が少ないせいか、結構人間関係とかコミュニケーションとか考え方が他の人とずれてるな、と最近感じることが多くなってきた。例えば、結構すぐ弱音を吐いたり自分を下げるようなネガティブな発言が多かったり。けれど、どういう状態が「良い人間・好かれる人間」なのかは分からず、こっちも模索状態。これはきっと自分で考えて答えを出すというよりは、色々な人と出会う中で確立していくものな気もする。

 自分のバックグラウンドのせいか、同年代の人に比べてコミュニケーションとかその辺がまだ子供っぽいと感じる。大人になることを目指して引き続き頑張っていこう。

 

 

 そして仕事の方はようやく5月から週4日勤務に増やすことにした。今まで月水金の3かだったのを月火木金に変える。フルタイムじゃないけど、週4で働いたことが無いので今の自分がどんな感じかの確認。戻すかもしれないけど、将来自立して働いていくにはやっぱり最低週4日は働けるようになっていきたい。最近は自分の人生において焦る気持ちは薄れてきたけど、順々に進んでいきたい。

 今月から時給100円昇給したし、来月から少し責任ある仕事を振ってくれるみたいな話を聞いた。アルバイトは単純作業で責任ある仕事なんてほとんどないものらしいけど、色々な仕事を振ってくれる今の会社には感謝しかない。

 

 

 最後にやりたいことが増えてきて最近楽しいというお話。まずは一人で外のお店でお酒を飲んでみることに挑戦したい。安いところから。そんなすぐ話せる人ができるかは分からないけど、色々な人と喋ってみたいしお酒も嗜みたい。

 それと月1くらいで滑舌矯正のトレーニングを受けたい。これも申し込めばすぐできそうなので、あとは体力との兼ね合い。

 後はようやく作りたいサイトができたし、一生のうちでやってみたい目標ができた。これについては次回別の記事でまとめようと思う。

 

 

 

 そんな訳で、最近はそこそこやれている気がする。色々溜まっていたのでワーッと書いてしまった。2023年も相変わらず「がんばる」。この記事を誰か見るのかは分からないけど、見守って頂ければ幸いだ。

 

 

最悪の年末年始

 一番酷い年末年始を過ごした。

 友人関係を失った。

 あいつが悪いとか俺が悪いとか、正直何も考えられない。考えようとしても頭の中でぐるぐる回って何も結論が出ない。

 

 10月にコロナになり、そこから酷い咳が続き、何とか治ってきたと思ったところで年末にインフルに罹り、咳が止まらなくなった。仕事も行けない。身体はしんどい。何もできずに家で辛うじて海外ドラマを見たりしているが、元気も気力もなくて、勉強もあまりできずに、文字通り鬱々と過ごしている。

 何かの発散になればと思ってこのブログを書いている。

 

 孤独。

 

 年末苦しんでいるときに、友人同士で楽しそうな写真が送られてくる。見舞いのつもりだったらしいが、結構しんどい。最初は冗談交じりで文句を言った。中々酷い事するな、と。そっから喧嘩になった。気づいたら友達はいなくなってた。

 

 よくわからない。嫌であることに対して我慢するのをやめようと、ある時思った。言い方がまずかったんだろうか。子供を注意するようにもっと配慮すべきだったんだろうか?友人に嫌な事をされて、それが誤解であろうと口を噤んで我慢するのが大人なんだろうか?分からない。

 

 大体こういう負の感情なんて、いくら文字にしたって、現実は変わらない。「よくわかんない理由でお前がキレて愛想尽かされたんだろう」そうかもしれない。

 

 喧嘩したことを後悔しているか、と聞かれりゃよくわかんない。友人がいるから何とか生きてこれたことは間違いないが、その友人しかいないからその友人を失くさない為に、いちいち悔しい思いを我慢しないといけないんだろうか。

 

 

 そもそも、こんなことが起こった理由も、今しんどい理由も、暇だからだ。

 

 他の人のように、実生活が忙しかったら、こんなくだらない事で悩む暇なんて無いんじゃないか、「そんなこと」でキレたりもしなかったんじゃないか。

 

 結局何も「分からない」。自分が悪いとも思うし、因果応報かと言われれば理不尽だとも思う。それは回らない頭の所為か、醜い自分勝手な現実逃避なんだろうか。

 

 

 友達は必要だと思う。が、もういない。未来は分からないけれど。だから、一年位、本当にがむしゃらに自分のことに集中していこうと思う。正直就活とか乗り越えられる気がしていないけど、それでも頑張って前を向いて生きていたら良い事があると信じて。今はそれだけが生きている理由だ。

 

 2023年、最悪のスタート。でもやるしかない。すべてを諦めてニートになるのはもう少し頑張ってからにしよう。

 

 

 

2022年を振り返って

 最近文章を書いていない。

 いや、アルバイトで文章を書いてはいるのだが、自分で書きたい文章を書く機会はめっきり減ってしまった。せっかくこういうブログを持っているのだし、書きたいことは溜まっているのだからもっと更新すればいいのにと思いつつ、3ヶ月以上放置している。

 

 さて、2022年ももうすぐ終わる。今年はまあまあ悪くはなかった一年になった気がする。

 11月にコロナにかかってから、咳がずっと続いて2ヶ月くらい色々停滞してしまってはいるが、それ以外はまあまあだった。今年の大きい目標は全部クリアできたのだ。

 

 基本情報の資格を取り、TOEIC600を超え、アルバイトを始められた。あと少しダイエットが進んだ。まだ太ってるけど。

 基本情報の資格はぎりぎりだったけど、滅茶苦茶勉強した成果が出たので合格したのはすごくうれしかった。TOEICはとりあえず8月に660は取れたけど、12月に受ける予定のTOEICが受けられなかったせいで730は取れなかった。これは心残り。来年また頑張ろう。

 そして何より人生で初めてまともに働き始めた。こう書くとニートだったみたいで、ちょっと悔しいが、半分そうだったので仕方ない。僕の職場は結構緩いので、のんびり働けている。週3だし少ないけど、とりあえず「働く」経験ができたのは自分にとって大きい気がする。

 以前の3回くらいやった就活はいずれも失敗に終わっていたが、色々原因はあったとはいえ、働いた経験が無かったのがかなり大きかったと思う。学生時代にアルバイトができなかったから、みんなと比べて7年遅れで労働を経験した。7年かあ・・・。

 

 とまあ、今年は例年に比べて進んではいるものの、やっぱり停滞していた今までの時間を取り戻す勢いには程遠い。結構いまだにゆるゆる生きている自分に罪悪感を感じる。

 来年は、いよいよ自立できる年にしたい。今年もよく「幸せになりたい、普通の生活をしたい」と思うことが多かった。必死に生きていない自分から逃げる為に、少しは日々勉強しているけど全然足りない。体調不良とかいろいろ言い訳はできるし、実際できなかった理由も確かにある。でも、1秒たりとも無駄にしないようには生きていない。というかだらだらしている時間が長すぎる。

 「幸せになりたかったら努力するしかない」現状に満足していない僕は、努力が圧倒的に足りないのだろう。

 

 文章だけでキレイに綴るのは簡単だ。来年の今頃に「今年はものすごく飛躍した年になった」と胸張って書けるように、頑張る。反省はありつつも、今年は前に比べたら色々頑張れたんだから、きっと何とかなるはずだ。頑張れ俺。